2010年08月18日

カー・ロック(雷魚)





当方は北国出身でして、ライギョという魚の存在を知ったのは「釣りキチ三平」でした。湖沼中心に生息する魚なので関東以南の方でも見たことのある方は少ないかもしれませんね。ライギョと一口に言っても三種類くらいいるそうです。ガキの頃、「ロン先生の虫眼鏡」というマンガでライギョにはカムルチーとタイワンドジョウの2種類がある、と書いてあったのは憶えていましたがもう1種類あるとは・・。このマンガの中で「福建省のあたりではライギョのことを「ライヒー」と呼ぶのでここからライギョという名前になった」という説を披露していますが、現在では少々怪しいそうです。

ライギョはベトナムでは「カー・ロック」と呼ばれていて、食用として多用されています。画像のようにかなり大型になるので材料としてかなり使いでがありますww

日本でのベトナム料理レシピ本にはこのライギョ料理はめったに紹介されていません。理由は簡単で入手が難しいからなんですね。生だとサナダムシより怖い顎口虫という寄生虫に感染する怖れがあるのも原因の一つかな?「サイゴンから来た妻と娘」にも日本でライギョを入手する困難さが描写されております。





さて、じゃライギョ料理って美味しいの?と聞かれると結構微妙なんですね。かなり身のしまった魚ですし、それほど脂が乗っていません。海魚の感覚で食べると失望します(コイで代用するとかなり美味しいのですが・・・)。

それでも話作りのためにベトベトで作ろうと思ったんですが・・・マトモに買うと高い!
アメ横センタービル地下の店で大型のを買おうとしたら8000円余裕でした(泣

釣ってやろうと周辺の釣り場を調べましたが生憎生息域ではありませんでした。千葉・茨城ならいっぱい生息しているというのに・・・・。

もし「俺が釣ってキサマに呉れてやる」という好漢がいらっしゃいましたら事前に連絡を下さい。蒸し器をサ・ワラに持参いたします。

  


Posted by トヨ  at 11:12Comments(3)ベトナム料理

2010年08月11日

ベトナム料理店「ホイアン」(新宿)

新宿の「ホイアン」に行ってきました。歌舞伎町のバーガーキングの入っているビルにあります。





お目当てのランチビュッフェです。休日なので1200円。平日は980円で更にオトクだったのですが、8月より平日ランチは休止となりました・・・・ぐるなびとかはまだ情報が古いのでご注意を。





陳列しているところの画像が無いのですが、おかず系が5種類くらい、ご飯、生春巻と自分で作るフォー、デザートがあります。おかず類は日によって変わり、ご飯のほかにチャーハンが付くこともあります。カレーの色から判るとおり、料理は100%ベトナム料理ではなくアジア料理が混在しています。





ベトナムコーヒーも飲み放題。下北沢あたりのカフェでは平気で500円とかしますから、これ2杯に料理で充分モトが取れます。土日にでも是非どうぞ。

  


Posted by トヨ  at 13:27Comments(0)ベトナム料理

2010年04月08日

海南鶏飯(シンガポールチキンライス)






「海南鶏飯(はいなんぢーはん)」というシンガポールの名物料理をご存知ですか?別名「シンガポールチキンライス」。でもケチャップ味ではありません。

鶏肉を煮込んでそのダシで御飯を炊き、御飯に先ほどの鶏肉を乗せて食する料理です。シンガポールの料理なのに何故か中国の海南島の名前が付いていますね。海南島から移住した住民が広めた地元料理、という触れ込みですがご当地には元々そんな料理は存在しなかったそうです。

(ややこしいのですが、逆上陸の形で現在は海南島でも食べられます)

まあ、似たような話はどこにでもありますよね。古い中華料理屋のメニューに残っている「ホンコンめし」は本場香港にはありませんし、イタリアにはナポリタンがないのと同じです。

この料理の人気はタイに飛び火し、「カオマンガイ」という名物料理として定着しました。そして10年位前からタイ→ベトナムという流れで定着して「コム・ガー」という定番料理に。ちなみにガーというのが鶏のことで、鶏のフォーは「フォー・ガー」です。

(またややこしいのですが、「コム・ガー」という名前の料理自体は昔からありましたがそれらは御飯に焼いたor煮た鶏肉を載せただけの料理で、冒頭に書いたようなスタイルになったのはここ10年以内の話です)

今週末のベトベトでは前日にこの「コム・ガー」を出す予定です。画像ほどキレイな盛り付けにはならないかもしれませんがご容赦下さいwww

(さらにややこしい話ですが、ここ10年で定着ということは60年代のベトナムには存在しない料理です・・・・お許しを)

その他に今回の前夜祭はパーティーっぽい感じと聞いていますので、追悼の意を込めて「三島軍曹」という名のオリジナルカクテルを出します。



  


Posted by トヨ  at 22:20Comments(4)ベトナム料理

2010年03月20日

調理師免許

佐山愛さんがムーディーズに移籍したそうです。安心しました。





しかしミリブロの中で「佐山愛」ってタグ付けているの俺だけだろうなあ・・。


話しは変わって、調理師免許のお話です。まず自分も含めて一般的に誤解している人が多いのですが、

1:調理師免許の試験には実技はありません

2:飲食店を開業するのに調理師免許資格は必要ありません


1は考えてみると美味さというのは個人の嗜好によるところが多いですし、当然と言えるかも知れませんね(ただし、ふぐ調理師の試験には当然実技があります)。2は意外でした。それなら調理師資格ってあんまし意味ないじゃん・・・と考えてしまいますが、飲食店を開業するには「食品衛生責任者」という者を選任し保健所に届出る必要があります。それが調理師資格をもっていればこの食品衛生責任者の講習が免除されるので、そういった点では意味があるのかもしれません。

まあ、必要云々というよりは「最低限これだけの知識は&スキルは持っている」ということの証明でしょうね。不動産やっている方にとっての宅建みたいな存在なのかも。

野外リエナクメントイベントのみならず、屋内のイベントでもベトナム料理店を出すことが今後あるんじゃないか?と漠然と思うようになりました。建物の管理者によっては出店者に調理師資格を持っていないと許可が出ない場合もありますので、そういう場合を考慮して取得に向けて動き出しました・・・でも実際には屋内イベントへの出店はいまのところ実現していないので、あんまし意味はなかったんですけどねww

調理師免許試験には実技はありませんが、2年間の飲食業従事が受験資格となります(ちなみに専門学校卒業者は従事期間どころか試験そのものが免除)。

自分その頃神奈川県の某複合リゾート施設に勤務しており、当初は不動産関連の職場だったんですが、併設するレストランの人手が足りなくなり、手伝いに廻されるうちに2年間が過ぎてめでたく従事証明を出してもらえることになったのでした。

試験そのものは受験者のバイブルである「調理師読本」を丸暗記してなんとか合格しましたよ。





もう時効だと思うので書いてしまいますが、その従事期間中の複合リゾートでの話を少々。

自分は電車でなんとか通える距離でしたので&既婚者だったので地獄の電車通勤をしておりましたが、千葉・埼玉の社員は施設内の寮に入っておりました。若い男女を一箇所にブチこめばもうハムスター状態ですよ。

その中にFちゃんという女の子がいました。彼女は気に入った男性にはすぐヤラせてくれるという天使のような娘だったのですが、呑み会などの席でアルコールが過度に入ると「Aくんは大きいけど下手」「Bさんは凄く硬い」「Cさんはテクニシャンだけど1回しかできない」などと性遍歴を話し始めるという悪癖があり、ご相伴に預かれなかった俺を含むグループはそれを聞いて大笑いし、ヤってしまったグループは真っ青になりながらFちゃんの口を塞ごうとするのでしたww

その悪癖はけっこう有名だったのですが、それでもFちゃんとベッドに直行するアホが多かったのは、やっぱりみんなハムスターになっちゃってたからだろうな。集団心理って怖いのうギギギ(←他人事)。

Fちゃんは今は退職し九州の方で結婚したと聞いていますが、あの奔放な性嗜好では大丈夫だろうかと少々心配になりますww
  


Posted by トヨ  at 14:09Comments(4)ベトナム料理

2010年02月14日

ちょんの間





ミリブロの入り口でサムネイルとタイトルを見てエロ記事を期待して来られた方、申し訳ありません。以前書いた料理記事のエントリーの続きです。宜しければ記念にコメント欄へ「ワッフルワッフル」と書いて行って下さい。

そのエントリーで、エスニック料理店で流行るのは「辛さ」と「在日コミュニティが多い」の2点を満たしたジャンル、と書きました。

2005年まで横浜市黄金町のあたりに「ちょんの間」があったのです(ちょんの間を知らない方のために説明すると非合法の本番風俗)。一時期はそりゃあ凄いものでしたよ。実は95年ごろにこのあたりに住んでいたのですが、夜は本当に無法地帯でしたねえ。頭から血を流して倒れている人間がいてもみんな横を平気な顔をして通り過ぎるし、「刺青お断り」の銭湯に行ったら俺以外全員が刺青ってこともありました。覚醒剤の売人もそこらにいたなあ。

ここらへんの話をアカトラさんにした時「まるで松田優作の「探偵物語」みたいですね」と言われたんですが、どちらかというと「探偵物語」にインスパイアされた永瀬正敏の「私立探偵濱マイク」に近いですね。場所もおんなじだし。


風俗嬢は中国人かタイ人で、ほとんどタイ人でした(立ちんぼだと南米系もいましたね)。多数のタイ人がいるということは、それだけ需要が増えるということです。先ほどの「在日コミュニティが多い」というのがここで出てきます。それも小さい区画に密集して・・・。

多くのタイ料理屋、食材&雑貨店、闇両替商に地下銀行・・・未確認ですが、タイ人専用ホストクラブまであったそうです。タイ料理屋はちゃんと営業許可を取ったものから居抜きのスナック跡でひっそり営業しているもの、弁当屋まで多数ありました。そういう店は日本人の舌に合わせるようなことはしませんから濃厚な本場タイの味がします。日本語の書かれたメニューなど無い(というかメニューそのものが無い場合も多い)店の一角で、タイ人のお喋りに肩身を狭くしながらかっこむタイ料理は極上の味がしましたね。

先に書いたとおり、2005年の壊滅以降タイ人は激減しましたので、件のタイ料理店の殆どはツブれました(往時の黄金町に興味のある方は「黄金町マリア」という本がオススメです)。ですが黄金町~横浜橋~伊勢佐木町の三角地帯にはまだけっこうタイ料理屋が残っています。もし横浜スタジアムや中華街に行くことがあればこのあたりをうろついてみては如何でしょうか。今は治安もかなりマシになっています。横浜橋には松崎商店の横浜支店もありますよ!

このコミュニティの多いところに美味しい店がある、という法則は旅先でも使えますので是非お試し下さい。

  


Posted by トヨ  at 00:37Comments(3)ベトナム料理

2010年02月03日

ベトナム料理への道④(たぶんこれで終わり)





さて、いざベトナム食材を扱うお店を探そうとしてもどうしたらいいやら判らず、学校の留学生に聞いたり雑誌などを見てお店の見当を付けて都内近郊をウロウロと放浪しておりました。

アメ横センタービルの地下、大久保無国籍街、横浜中華街・・・。

ダメ元で行ってみた横浜中華街では意外と多くのベトナム食材と出会えました。これはあくまで推察なのですが、横浜中華街は広東料理系(=香港)の料理店が多く、その香港にはベトナム人・華系ベトナム人難民が住み着いているんですね。中国に返還された今ではどうか判りませんが、90年ごろに行った時は鼓油街のあたりがベトナムストリートとなっていた記憶があります。その関係でベトナム食材を扱う店が中華街にあったのかもしれません。

でもって念願のニョクマムを購入。いまではミニサイズもありますが当時は大瓶しかなく、これを消費するために三食全ての料理にニョクマムを投入し、味を確かめるという楽しいのか苦行なのか自分自身でもよく判らない日々が始まります。常に部屋にニョクマムの香りが漂っているため、友人からは「おまえの部屋は男子更衣室の匂いがする」と失礼な事を言われたりもしましたww
(そんな友人たちも数年後のコメ騒動の時にはタイ米に対処する術を得るためにニョクマムを借りに来るのだから現金なものです)

アメ横センタービル地下はいまでも食材の調達に行きます。当時はイラン人の変造テレカ売りがいっぱい居たんですが、今では全く見なくなりましたねえ。というかイラン人が減ったよね。

ここまでと①~③までは1990年ごろの話です。今はホント状況が改善されました。福山商店やメコンセンターへ行けば殆ど全ての食材が手に入りますし、フォーやニョクマムなら値段を気にしなければカルディーコーヒーで買えます。生春巻の皮に至ってはベトナム製の質のいいものが近所のサミットで扱っていますからね。イベントの前に仕入れで1日潰した時期が夢のようです。

ベトナム料理店も一部の好事家のものではなくなり、「料理の鉄人」初代フレンチの鉄人石鍋シェフがベトナム料理店を開店するようになってからは完全に市民権を得ていると思います。都内のターミナル駅近辺であれば気軽にベトナム料理が食べられるようになった手軽さをありがたがる一方で、20年前のような怪しい?雰囲気のお店が減りつつあるのは残念な気もするんですけどね・・・。
  


Posted by トヨ  at 12:14Comments(2)ベトナム料理

2010年01月27日

ベトナム料理への道③

昨日女性向けの深夜番組を見ていたら、ホーチミン市への2泊3日のツアーが5万円を切っていました。すげーなあ、20年前ならツアー料金が30万円を切ることはなかったと思います。更にハノイ行きまで旅程に入れたら50万円くらいになってたんじゃないかな?

そんな頃に、決して安くは無いツアー料金を払ってベトナムへ行った方とお話しする機会がありました。

都内のベトナム料理店の話題になったとき、「うーん、しょうがないけど食材が手に入らないから全然違うんだよね」と教えてくださいました。曰く、まず生春巻の皮は全部タイ産で全然違うし、野菜も価格の問題で代用品が多いとの事。たしかにね、沖縄は別として都内じゃバジルなんかはほんのちょっとで数百円するし。

「でもまだいい方だよ、正直な分だけ。○×なんかはニョクマムじゃなくてナンプラー使っているしね」
(注:このお店は前回の記事にあった店ではありません、ちなみにもうツブれています)

ナンプラーはタイの調味料で、魚を原料とした所謂魚醤。ベトナムのニョクマムと非常に似ています。ただ、2つ並べて舐めてみると判りますが明らかに違います。

似ているからといって一緒にするとそれぞれの国の方に怒られますww 例えばコレを読んでいる関西の方(いるかな?)、「タコ焼きと明石焼きっておんなじでしょ?」と言われたら反論したいですよね?私の家人は東京下町生まれなんですが、もんじゃ焼きを食べている時に「焼き方が違うだけで殆どお好み焼きと同じじゃね?」と冗談で言ったら目の前の鉄板で利根川土下座をさせらそうになりましたwww





店も努力はしているんですよ。でも食材が手に入らない。入手できても価格の問題で諦めざるを得ない。

1990年ごろのエスニック料理興隆のポイントは「辛さ」と「在日コミュニティの母体数」にあったと思われます。

いま日本で店舗数の多いエスニック料理店は韓国料理、タイ料理ですかね。2つとも猛烈に辛いですし、在日コミュニテイも相当な数です。日本人としてはお店に辛さを求めますし、在日コミュニティの充実度は食材の入手ルートの豊富さと比例します。

在日ブラジル人も相当いますが、ブラジル料理店ってそんなに無いですよね。ブラジル料理は塩とニンニクが味付けの基本なので、意外と辛いものが無いのですよ。以前、ブラジルの某格闘家が来日した際、デニーズでカレーライスを注文したところ辛くて喰えなかった、というエピソードを聞いたことがあります。日頃から辛いものをあまり食べていないので耐性が無いんじゃないかな?

そんな中で辛い料理が少なく、在日コミュニティがそんなに発達していないベトナムの食材が入手しづらいのはしょうがないでしょう。日本にいる我々が批判できることじゃないんですからね。例えば自分がアメリカの片田舎で食材の不足を努力で補っている寿司職人だとします。お店にケント・デリカット似の客が来て「ウーン、やっぱりニホンの味が再現できていないネ!」とか半可通ぶったことを言われたら張り倒しているかもしれません。小林亜星や国本社長なら即訴訟ですよww

というわけでベトナム食材を探して都内をうろつく日々が始まるのでした(④に続く)  


Posted by トヨ  at 11:04Comments(0)ベトナム料理

2010年01月23日

ベトナム料理への道②






「いつだって故郷を捨てる者は後ろめたい勝利感がある」って書いたあったのは
志水辰夫の傑作「尋ねて雪か」のワンシーンでしたっけ。誰も知らないか。

別に故郷を捨てたわけじゃありませんが18の歳に上京し、以降なんとなく関東モンのふりをして居ついておりますw

人ごみに流されて変わってゆく私を遠くで叱ってくれる人間もいないため、田舎にいた時は口にすることができなかったベトナム料理(と、他国の料理)食べ歩きをダラダラと開始。新宿御苑の「ミュン」、池袋西口の「サイゴンレストラン」、東口の「ミュン」、代々木の「アンコールワット」・・・・(今では閉店してしまったお店もありますねえ。思えば遠くへきたもんだ)学生の身分には少々お高い値段でしたが、ベトナムの風土をボンクラ頭の中で構築しつつ「むはむは」と椎名誠のようにかっ喰らったり、映画「地獄の7人」の訓練キャンプを脳内再生して「うえぇ、毎日このベトナム料理かよ」と悪態をついてみたり。

とても気持ちの悪い客だったんでしょうねえ、今考えてみると。ひでえな俺。


その頃は「333」をバーバーバーと読む日本人客は少なく、「バーバーバーを一つ」などと注文すると、無愛想なベトナム人のおばちゃんがニッコリと笑ってサービスが急に良くなったりしたものです。

このバーバーバーと読む人間が少なかった、というのは当時の日本人にベトナム料理およびベトナム文化がそれ程浸透していなかった事を示唆しています。まあ、南ベトナムの歴代大統領をちゃんと順番どおり言えたりするサケスキーさんみたいな剛の者は別にして、今だってそんなにベトナム文化・歴史は日本人の中に浸透していませんが・・・。

お店めぐりをしているうちに薄々とそのことに気がつき始めた私は、ある人との出会いからベトナム料理を「作る」側に廻るのでした。(③に続く)


  


Posted by トヨ  at 22:20Comments(2)ベトナム料理

2010年01月21日

ベトナム料理への道①





皆様がミリタリー趣味に目覚めたのは何時ごろでしょうか?
自分の場合は1983年ごろで、第1次ベトナムブームの後。プラトーンから始まった第2次ブームの隙間で、資料などが皆無だった時代ですね。しかも住んでいたのが北のはずれでミリタリーショップなどは無く、自衛隊の払下げ屋ばかり。情報を得るために図書館に通い、岡村昭彦や沢田教一の写真集を借り、目を皿のようにして見ておりました。

その中で借りた一冊が開高健の「ベトナム戦記」。

最前線の描写も凄いのですが、心を惹かれたのはサイゴンの街並みの描写でした。元々フランスと中国の文化に造詣が深い著者ですので、その文化が混在したサイゴンはとても水が合ったのでしょうね。普通の人々の暮らしから、阿片窟まで精力的に取材されたようです。

食事の描写で出てくるニョクマムがベトナム料理への興味のキッカケです。秋田のしょっつるにも似たこの調味料がベトナム料理の基本と知り(実際には普通の醤油も多用します。むしろ醤油の方が多いかもしれません)、探してみましたがなんせ27年前の田舎街、そんなものはありません。エスニック料理屋といえなインドカリー屋がせいぜいで(スープカリーなど存在すらしていませんでした)タイ料理屋もありませんでしたから代用品のナンプラーも手に入れることは出来ません。結局、18の歳に上京するまでベトナム料理はお預けとなるのでした。

(蛇足ですが、漫画家の西原理恵子は近藤紘一の「サイゴンからきた妻と娘」を読んでニョクマムに興味を持ったと「裏ミシュラン」の中で描かれております)

亡くなられた開高健の記念館が湘南の地に建立されています。常設展の他に企画展もあり、ベトナム戦争関連もやった実績があります。こまめにチェックされては如何でしょうか?

http://kaiko.jp/kinenkan/



  


Posted by トヨ  at 00:37Comments(5)ベトナム料理