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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年01月27日

EOTACジャケットとフランス軍M47/56

以前MIXIの方で書いた日記なんですが、MIXIをやっていない方から「見たい」
とのリクエストがありましたので再?掲載します。情報・認識が古いかもしれま
せんがご容赦願います(2009年5月に書かれた日記です)。また、比較用に
EOTACはODのを撮影していますが、日記を書いた後にリザードパターンも
発売されました。


↓ここから

最近雑誌などで特集が組まれて注目を集めているアメリカの新興メーカー、
EOTAC(イオタック)。ウーリッチのデザイナーさんが独立して立ち上げたメー
カーと聞いております。雑誌ではタクティカルパンツを中心に取り上げられて
いますが、紙面や一部ブログなどでちらほらと写っている「オペーレータージャ
ケット」と、デザイン元になったフランス軍のジャケットの比較を誰にも頼まれて
いませんがゆるーーく書いていきます。

メーカーのHPでも記載されていますが、このジャケットはヨーロッパの既存の
ジャケット、フランス軍のM47/56を基にデザインされています。





というかほぼそのまんまです。フランス軍が正式採用したものはこのリザード迷彩
タイプのみなんですが、民生品やアフリカ諸国向けに生産したODタイプも存在します。
サッカー元日本代表監督のフィリップ・トルシエがアフリカ某国で監督をやっていた
時の写真の中で、警備をしていた兵士がこのODタイプを着用していました。


ウーリッチでも「アルジェリアンジャケット」という名称でジャケットを出されていますが、
こちらはフラップなどのデザインが変更になっており、米軍のM65っぽいテイストに
なっていますね。

某ブログでは「M65より軽い造り」となっていますが、元々M47/56もHBT生地で
軽い造りですね。フィールドジャケットというよりはBDUに近い感じです。

変更点1:胸の縦ポケットがM47/56では左胸のみですが、EOTACでは左右とも
付いています。
変更点2:前合わせのボタンがスナップボタンへ変更。





変更点3:襟のボタンを廃止、イオタックのロゴを刺繍。





変更点4:左袖にペンポケット追加。





変更点5:1個しかなかった内ポケットを4個に増加。





変更点6:裾のドローコードにパーツ追加





変更点7:手首のボタンをスナップボタンに改良。





てな感じです。変更は殆ど細部であり、基本的なデザインは40年前に既に
完成していることが判ります。SATマガジンのブログで指摘されていた、脇の
拳銃類を抜きやすくするための短いジッパーも元々のデザインです。

別にEOTACを貶めるためにこの日記を書いているわけではありません。
自分は3月にはイオタックのジャケットを手に入れていますが、それから今日
までのメディアでの扱いを見ていると、M47/56に対するリスペクトがあまり
にも少ないように感じていたためです。

何にも知らない人から見ると、同じデザイナーが手がけたジャケットがメーカーが
変わったとたん大幅にデザインが変更されたので、デザイナーだけの手柄に
なっているように感じてしまうのではないか、と思います。画像と今までの経緯を
考慮すると、むしろ「先祖返り」なんですけどね。

情報を伝える側としては、せっかくメーカーのHPに「既存のジャケットを参考に
した」と書いてあるんだから、一度検索するなりその道の先達に聞くなりして
確認する作業をすべきではないかと。そうしないと読者がミリタリーショーとかの
会場でM47/56を見て「あ、これはイオタックのコピーだ」とかとんでもねえ事を
言って大恥を掻きかねないですよ(w

・・・まさかと思うけど、イオタックを売りたいがためにわざと黙殺している、
ということは無いよね・・・。

念を押しますが、イオタックを貶めるつもりはありません。実際自分もいままでは
M47/56のODタイプを街着として愛用していましたが、イオタックの変更点が
あまりにも具合がよく、M47/56の方は売っ払ってしまいました(w 特に変更点で
良かったのは手首のスナップボタン。M47/56を持っている人は判ると思いますが、
あそこのボタンを外すのえらい大変なのよね(w 今ではラクラクです。最近雨が
続いて寒いので、イオタックを毎日着ていますよ。

あ、そうだ。これから購入(特に通販で)される方にご注進。コヨーテブラウンタイプは
メーカーHPでの色合いと現物の色合いがかなり違います。現物の色は弥生時代の
埴輪みたいな感じですのでご注意のほどを。

  


Posted by トヨ  at 16:19Comments(3)タクチコー

2010年01月27日

ベトナム料理への道③

昨日女性向けの深夜番組を見ていたら、ホーチミン市への2泊3日のツアーが5万円を切っていました。すげーなあ、20年前ならツアー料金が30万円を切ることはなかったと思います。更にハノイ行きまで旅程に入れたら50万円くらいになってたんじゃないかな?

そんな頃に、決して安くは無いツアー料金を払ってベトナムへ行った方とお話しする機会がありました。

都内のベトナム料理店の話題になったとき、「うーん、しょうがないけど食材が手に入らないから全然違うんだよね」と教えてくださいました。曰く、まず生春巻の皮は全部タイ産で全然違うし、野菜も価格の問題で代用品が多いとの事。たしかにね、沖縄は別として都内じゃバジルなんかはほんのちょっとで数百円するし。

「でもまだいい方だよ、正直な分だけ。○×なんかはニョクマムじゃなくてナンプラー使っているしね」
(注:このお店は前回の記事にあった店ではありません、ちなみにもうツブれています)

ナンプラーはタイの調味料で、魚を原料とした所謂魚醤。ベトナムのニョクマムと非常に似ています。ただ、2つ並べて舐めてみると判りますが明らかに違います。

似ているからといって一緒にするとそれぞれの国の方に怒られますww 例えばコレを読んでいる関西の方(いるかな?)、「タコ焼きと明石焼きっておんなじでしょ?」と言われたら反論したいですよね?私の家人は東京下町生まれなんですが、もんじゃ焼きを食べている時に「焼き方が違うだけで殆どお好み焼きと同じじゃね?」と冗談で言ったら目の前の鉄板で利根川土下座をさせらそうになりましたwww





店も努力はしているんですよ。でも食材が手に入らない。入手できても価格の問題で諦めざるを得ない。

1990年ごろのエスニック料理興隆のポイントは「辛さ」と「在日コミュニティの母体数」にあったと思われます。

いま日本で店舗数の多いエスニック料理店は韓国料理、タイ料理ですかね。2つとも猛烈に辛いですし、在日コミュニテイも相当な数です。日本人としてはお店に辛さを求めますし、在日コミュニティの充実度は食材の入手ルートの豊富さと比例します。

在日ブラジル人も相当いますが、ブラジル料理店ってそんなに無いですよね。ブラジル料理は塩とニンニクが味付けの基本なので、意外と辛いものが無いのですよ。以前、ブラジルの某格闘家が来日した際、デニーズでカレーライスを注文したところ辛くて喰えなかった、というエピソードを聞いたことがあります。日頃から辛いものをあまり食べていないので耐性が無いんじゃないかな?

そんな中で辛い料理が少なく、在日コミュニティがそんなに発達していないベトナムの食材が入手しづらいのはしょうがないでしょう。日本にいる我々が批判できることじゃないんですからね。例えば自分がアメリカの片田舎で食材の不足を努力で補っている寿司職人だとします。お店にケント・デリカット似の客が来て「ウーン、やっぱりニホンの味が再現できていないネ!」とか半可通ぶったことを言われたら張り倒しているかもしれません。小林亜星や国本社長なら即訴訟ですよww

というわけでベトナム食材を探して都内をうろつく日々が始まるのでした(④に続く)  


Posted by トヨ  at 11:04Comments(0)ベトナム料理

2010年01月23日

ベトナム料理への道②






「いつだって故郷を捨てる者は後ろめたい勝利感がある」って書いたあったのは
志水辰夫の傑作「尋ねて雪か」のワンシーンでしたっけ。誰も知らないか。

別に故郷を捨てたわけじゃありませんが18の歳に上京し、以降なんとなく関東モンのふりをして居ついておりますw

人ごみに流されて変わってゆく私を遠くで叱ってくれる人間もいないため、田舎にいた時は口にすることができなかったベトナム料理(と、他国の料理)食べ歩きをダラダラと開始。新宿御苑の「ミュン」、池袋西口の「サイゴンレストラン」、東口の「ミュン」、代々木の「アンコールワット」・・・・(今では閉店してしまったお店もありますねえ。思えば遠くへきたもんだ)学生の身分には少々お高い値段でしたが、ベトナムの風土をボンクラ頭の中で構築しつつ「むはむは」と椎名誠のようにかっ喰らったり、映画「地獄の7人」の訓練キャンプを脳内再生して「うえぇ、毎日このベトナム料理かよ」と悪態をついてみたり。

とても気持ちの悪い客だったんでしょうねえ、今考えてみると。ひでえな俺。


その頃は「333」をバーバーバーと読む日本人客は少なく、「バーバーバーを一つ」などと注文すると、無愛想なベトナム人のおばちゃんがニッコリと笑ってサービスが急に良くなったりしたものです。

このバーバーバーと読む人間が少なかった、というのは当時の日本人にベトナム料理およびベトナム文化がそれ程浸透していなかった事を示唆しています。まあ、南ベトナムの歴代大統領をちゃんと順番どおり言えたりするサケスキーさんみたいな剛の者は別にして、今だってそんなにベトナム文化・歴史は日本人の中に浸透していませんが・・・。

お店めぐりをしているうちに薄々とそのことに気がつき始めた私は、ある人との出会いからベトナム料理を「作る」側に廻るのでした。(③に続く)


  


Posted by トヨ  at 22:20Comments(2)ベトナム料理

2010年01月21日

ベトナム料理への道①





皆様がミリタリー趣味に目覚めたのは何時ごろでしょうか?
自分の場合は1983年ごろで、第1次ベトナムブームの後。プラトーンから始まった第2次ブームの隙間で、資料などが皆無だった時代ですね。しかも住んでいたのが北のはずれでミリタリーショップなどは無く、自衛隊の払下げ屋ばかり。情報を得るために図書館に通い、岡村昭彦や沢田教一の写真集を借り、目を皿のようにして見ておりました。

その中で借りた一冊が開高健の「ベトナム戦記」。

最前線の描写も凄いのですが、心を惹かれたのはサイゴンの街並みの描写でした。元々フランスと中国の文化に造詣が深い著者ですので、その文化が混在したサイゴンはとても水が合ったのでしょうね。普通の人々の暮らしから、阿片窟まで精力的に取材されたようです。

食事の描写で出てくるニョクマムがベトナム料理への興味のキッカケです。秋田のしょっつるにも似たこの調味料がベトナム料理の基本と知り(実際には普通の醤油も多用します。むしろ醤油の方が多いかもしれません)、探してみましたがなんせ27年前の田舎街、そんなものはありません。エスニック料理屋といえなインドカリー屋がせいぜいで(スープカリーなど存在すらしていませんでした)タイ料理屋もありませんでしたから代用品のナンプラーも手に入れることは出来ません。結局、18の歳に上京するまでベトナム料理はお預けとなるのでした。

(蛇足ですが、漫画家の西原理恵子は近藤紘一の「サイゴンからきた妻と娘」を読んでニョクマムに興味を持ったと「裏ミシュラン」の中で描かれております)

亡くなられた開高健の記念館が湘南の地に建立されています。常設展の他に企画展もあり、ベトナム戦争関連もやった実績があります。こまめにチェックされては如何でしょうか?

http://kaiko.jp/kinenkan/



  


Posted by トヨ  at 00:37Comments(5)ベトナム料理

2010年01月17日

はじめまして!

ベトベトしま戦か?でお世話になっております、ベトナム料理屋台「第四地区」でございます。
酔った勢いでブログを始めてしまいました。記事投稿の仕方さえよく判らないのですがwww
ひとつよろしくお願いします。あんまし更新できないかもしれませんが・・。

  


Posted by トヨ  at 22:39Comments(4)ベトベトしま戦か?