2010年02月08日
アホカリプス2000
アホカリプス2000にいきなり参戦です。
まずは一般参加して雰囲気を確かめてから、となるはずですがまだ20代。若さと無謀さを勘違いしていた時期ですのでいきなり出店です。店名はホーチミン市の行政区画でダウンタウンのあたりが第四地区なので、大衆食堂っぽい雰囲気を出すために付けました。ナム戦の頃はホーチミン市ではなくサイゴン市で、当然「第四地区」なんて無いから設定が合っていないのですが、その事に気がついたのは申し込みをした後なのでした。若さゆえの過ちは未だに尾を曳いているわけです。
土曜日の昼頃入り設営→準備→開店。
まあ、結果から言うと大失敗
学生時代にテキ屋のバイトをしたことがあるので大丈夫だろとタカをくくっていたんですが、最初から設営・準備をするのは初めて。手際が悪く当日来店したお客さんにはかなりご迷惑をおかけしたかと思います。
次に場所。ショップブースのかなり外れ、しかも増設照明の下だったので蛾が凄いのなんのって。料理を作る女房の横で蛾を追い払うのが私の主な仕事でした。なんだそれ。
料理の説明も大変。当初は看板に「フォー」と書いてあったんですが皆さん理解できないので途中から「ベトナムうどん」と記載。豚のあばら肉とココナツの実の煮物を用意していたら鍋の中を見たお客さんが「・・・・脂身、多すぎじゃない??」と敬遠されてしまいます。ココナツの実を料理に使うという発想がないので、どうしても脂身に見えちゃうんですね。試食して納得してもらいましたが・・・脂身っぽく見えるだけで避ける人が多かったので、このメニューはアホカリ2000以降出しておりません。
結局大赤字となってしまいました。実際には程度の差こそあれ今でも赤字なんですけどね。前回の記事にも書きましたように本業が違うので什器・ガスなどはレンタルなので持ち出しが多いんですよ。我々以降にもアホカリプスで飲食店をやろうとした方が2~3いましたが、皆1回出て止めています。軍装販売と違い準備に時間がかかるのでお客さん感覚でイベントを楽しめないし、それに儲からない。レオパルドが飲食店をやったときは「次は絶対やらないだろうな」と思っていたら案の定やりませんでした。さすがS社長、カネにならない事にはホントに動きませんねwww
それでも懲りずにアホカリプス2002への参加を決意。当時の記録簿には恨み言とかは見られないので、リベンジというよりは純粋に次も楽しみにしていたようです。
ただ、2000→2002の間にちょっとしたコトがありました。それがアホカリプス2002のメニュー、そして今のミリタリー趣味に多大な影響を与えることになります。(続く)
まずは一般参加して雰囲気を確かめてから、となるはずですがまだ20代。若さと無謀さを勘違いしていた時期ですのでいきなり出店です。店名はホーチミン市の行政区画でダウンタウンのあたりが第四地区なので、大衆食堂っぽい雰囲気を出すために付けました。ナム戦の頃はホーチミン市ではなくサイゴン市で、当然「第四地区」なんて無いから設定が合っていないのですが、その事に気がついたのは申し込みをした後なのでした。若さゆえの過ちは未だに尾を曳いているわけです。
土曜日の昼頃入り設営→準備→開店。
まあ、結果から言うと大失敗
学生時代にテキ屋のバイトをしたことがあるので大丈夫だろとタカをくくっていたんですが、最初から設営・準備をするのは初めて。手際が悪く当日来店したお客さんにはかなりご迷惑をおかけしたかと思います。
次に場所。ショップブースのかなり外れ、しかも増設照明の下だったので蛾が凄いのなんのって。料理を作る女房の横で蛾を追い払うのが私の主な仕事でした。なんだそれ。
料理の説明も大変。当初は看板に「フォー」と書いてあったんですが皆さん理解できないので途中から「ベトナムうどん」と記載。豚のあばら肉とココナツの実の煮物を用意していたら鍋の中を見たお客さんが「・・・・脂身、多すぎじゃない??」と敬遠されてしまいます。ココナツの実を料理に使うという発想がないので、どうしても脂身に見えちゃうんですね。試食して納得してもらいましたが・・・脂身っぽく見えるだけで避ける人が多かったので、このメニューはアホカリ2000以降出しておりません。
結局大赤字となってしまいました。実際には程度の差こそあれ今でも赤字なんですけどね。前回の記事にも書きましたように本業が違うので什器・ガスなどはレンタルなので持ち出しが多いんですよ。我々以降にもアホカリプスで飲食店をやろうとした方が2~3いましたが、皆1回出て止めています。軍装販売と違い準備に時間がかかるのでお客さん感覚でイベントを楽しめないし、それに儲からない。レオパルドが飲食店をやったときは「次は絶対やらないだろうな」と思っていたら案の定やりませんでした。さすがS社長、カネにならない事にはホントに動きませんねwww
それでも懲りずにアホカリプス2002への参加を決意。当時の記録簿には恨み言とかは見られないので、リベンジというよりは純粋に次も楽しみにしていたようです。
ただ、2000→2002の間にちょっとしたコトがありました。それがアホカリプス2002のメニュー、そして今のミリタリー趣味に多大な影響を与えることになります。(続く)