2010年02月28日
アホカリプス2002
アホカリプス2002に参加したときの事を書きます(2001年は開催されませんでした。だよね?)。
自分の中では一番面白かったアホカリと記憶しています。その理由はいくつかあるんですが、丁度失業中で準備に時間をとることができたのが一つ。
また、2002年以外のアホカリプスでは金曜午後~日曜だったのに対し、2002年は木曜午後~日曜と期間が長かったため、余裕をもって対処できたのも大きかったですね。余裕があったので朝営業もしていました(画像にあるおかゆとモーニングがそれです。モーニングはベーコンではなく前年の沖縄旅行の影響でスパムを使用)
ビニールシート丸出しでホームレス風味ですが、前日夜が猛雨だったので急遽貼ったというのが真相。そんな雨の中でも食べに来て下さった方もいます。ありがとうございました。
hamiさんという方がアホカリレポートの中で当店の事を書いて頂いたりして嬉しかったですね。あらためてありがとうございました。
この時はタコライスを出したり、タコスミートを流用してアメリカ製のえらくしょっぱいソーセージを使ったホットドッグを作ったりとか生春巻の具材とソーメンでソーミンチャンプルーを作ったりとやりたい放題で、時間帯ごとにメニューが変わるというシェフの気まぐれ屋台と化しておりましたww
前夜祭のバンドもレベルが高くて、前座のジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリクスのコピーバンドも凄かったのですがメインのme-ismさんが良かったですねえ・・・特にボーカルのyukoさんが脱ぎだすところで最高に盛り上がりましたww
この頃はお店をニョーボにまかせっきりで自分はテッパチ被ってゲームに参加していましたから、アホカリを全て堪能したことになります。メインゲームも天候に恵まれ、アホカリプス2002は自分のみならず、参加者にとっても伝説のイベントとなったのでした。
2010年02月27日
ローデシア軍の洋書購入計画 続き
給料が出たので著者の銀行口座へ入金手続きしました。1週間くらいで入金されるのでそれから出荷・・・一ヵ月後くらいには届くでしょうか。相手が南アフリカなだけに少々不安。
ところで本年中にセルーススカウツの本も出ると聞いていたので、それも一緒に注文しようと思ったら「原稿は出来ているんだけどセルーススカウツ協会とトラブっていて出版が止まっているのさアハハハ」という返事が来ましたよ。
・・・・・なんなんだトラブルって??
(追伸)
さっき著者からメールが来て「今朝送ったよ!」とのこと。ちゃんと入金確認したのか?
というか向こうの銀行で手数料取られるから多めに送金して、「結局何ポンド入金されたか
教えて」との質問したんだけど回答はスルー。どうやら確認せずに送ったくさいですね・・。
タグ :購入物
2010年02月21日
ベトナムジッポー①
「紳士はライターを返しつつ、「これは何ですか?」とたずねる。「アメリカの海兵隊員のお守りですよ。その呪文があるとヴェトコンの弾丸から逃げられるとされてたんです。二十年前、サイゴンで」と答える」
(「オーパ!アラスカ至上編」/集英社文庫)
ナム戦リエナクメント参加者なら当然知っていると思われるベトナムジッポーですが、その存在を初めて日本に紹介したのは開高健の文章でしょう。ちなみに上の文章は126ページに載っているのですが、その前の122ページに件のベトナムジッポーが写っております。
画像は開高健記念館の展示物(喫煙具コーナー)にひっそりと紛れ込んでいるその時のベトナムジッポーです。(雑誌から取り込んだので画像が荒いのは御勘弁)
自分はナム戦ミリタリアの中で一番ベトナムジッポーが好きなんですよ。なぜかというと兵士個人のキャラクターが一番良く出ているからなんですね。被服・装備も新品デッドよりは中古の、できれば名前が入っているようなものが好きです。ミリタリー趣味の無い人からは「幽霊が付いてきそう」とイヤがられますが・・・。
これからネタの無い時はつらつらとコレクションしているベトナムッジッポーの紹介をいたします。それほどレアなものはありませんので期待しないで下さいww
2010年02月17日
ローデシア軍の洋書購入計画
実は自分、ローデシア軍関連も集めております。といっても当時の装備には手が出ないのでレプリカか英軍のP58でごまかすレベルですけどね。
いま購入を計画している本がトップ画像のものなんですが、アマゾヌで扱っていなくて、著者から購入しなければならないんだけど南アフリカ在住・・・・。本人とコンタクトを取ったところ
「ウェスタンユニオンで送金してね!」→いま日本では扱っていません。
「国際為替送金でいいよ!」→ゆうちょ銀行に聞いたら南アフリカには住所送金してません。
しかも南アフリカ在住なのにポンドで送るよう指定。なんで?ランドじゃないの??
まあ、久々に海外通販で苦労しているんですがインターネットが普及していない昔はこんな感じでしたよね。苦労よりもむしろ懐かしさを感じたりして。
上の画像も購入に苦労した本。今では神戸のレロイ書店さんで扱っているけどこれもアマゾヌ扱いがなくって、出版社に直接注文しました。3年くらい前かな。
ところが先日銀座の「すゞの木」で呑んでいたところ、この本がしれっと置いてあります。
「すゞの木」のマスター、鈴木トーマスさんはVショーなどでボブチャット、ペーターセンの通訳をやられている方ですのでご存知の方も多いかもしれませんね。この方はWW2関連が専門で、何故ベトナム関連の書籍があるのか不思議だったので聞いてみると著者とお知り合いで一冊貰ったそうです。俺がこの書籍を購入するのに少々苦労したことを話すとトーマスさん曰く「えー、なんか全然売れなくて余っているって言ってましたよー」・・・・
なら20冊くらい日本に持ってきてくれたら俺がVショーで売るよ!!なんだったんだ俺の苦労は・・。
タグ :購入物
2010年02月17日
ベトベトしま戦か?第10戦募集開始
2010年02月14日
ちょんの間
ミリブロの入り口でサムネイルとタイトルを見てエロ記事を期待して来られた方、申し訳ありません。以前書いた料理記事のエントリーの続きです。宜しければ記念にコメント欄へ「ワッフルワッフル」と書いて行って下さい。
そのエントリーで、エスニック料理店で流行るのは「辛さ」と「在日コミュニティが多い」の2点を満たしたジャンル、と書きました。
2005年まで横浜市黄金町のあたりに「ちょんの間」があったのです(ちょんの間を知らない方のために説明すると非合法の本番風俗)。一時期はそりゃあ凄いものでしたよ。実は95年ごろにこのあたりに住んでいたのですが、夜は本当に無法地帯でしたねえ。頭から血を流して倒れている人間がいてもみんな横を平気な顔をして通り過ぎるし、「刺青お断り」の銭湯に行ったら俺以外全員が刺青ってこともありました。覚醒剤の売人もそこらにいたなあ。
ここらへんの話をアカトラさんにした時「まるで松田優作の「探偵物語」みたいですね」と言われたんですが、どちらかというと「探偵物語」にインスパイアされた永瀬正敏の「私立探偵濱マイク」に近いですね。場所もおんなじだし。
風俗嬢は中国人かタイ人で、ほとんどタイ人でした(立ちんぼだと南米系もいましたね)。多数のタイ人がいるということは、それだけ需要が増えるということです。先ほどの「在日コミュニティが多い」というのがここで出てきます。それも小さい区画に密集して・・・。
多くのタイ料理屋、食材&雑貨店、闇両替商に地下銀行・・・未確認ですが、タイ人専用ホストクラブまであったそうです。タイ料理屋はちゃんと営業許可を取ったものから居抜きのスナック跡でひっそり営業しているもの、弁当屋まで多数ありました。そういう店は日本人の舌に合わせるようなことはしませんから濃厚な本場タイの味がします。日本語の書かれたメニューなど無い(というかメニューそのものが無い場合も多い)店の一角で、タイ人のお喋りに肩身を狭くしながらかっこむタイ料理は極上の味がしましたね。
先に書いたとおり、2005年の壊滅以降タイ人は激減しましたので、件のタイ料理店の殆どはツブれました(往時の黄金町に興味のある方は「黄金町マリア」という本がオススメです)。ですが黄金町~横浜橋~伊勢佐木町の三角地帯にはまだけっこうタイ料理屋が残っています。もし横浜スタジアムや中華街に行くことがあればこのあたりをうろついてみては如何でしょうか。今は治安もかなりマシになっています。横浜橋には松崎商店の横浜支店もありますよ!
このコミュニティの多いところに美味しい店がある、という法則は旅先でも使えますので是非お試し下さい。
タグ :ベトナム料理
2010年02月13日
戦場カメラマン
ナム戦リエナクトイベントでは戦場カメラマンのithacaさんと一緒に行動することが多いですね。アホカリプス2000ではそれぞれ別に行動していましたが、アホカリプス2002以降は全て一緒に行動しています。
ithacaさんとは物販イベントで顔をあわせるうちになんとなく知り合いになりました(オンライン上では某BBSでご一緒でしたが、自分はその時別のハンドルネームを使っていたので気がついていないと思いますww)。
実銃が扱えない国内リエナクメント業界において、戦場カメラマンは全てを当時と同じように揃えられる数少ないポジションですね。ithacaさんはニコンF2とライカM4を使用されています。(「デジカメは戦場の雰囲気を壊すから」と長年ストイックな理由で銀塩カメラのみを使用されていましたが、ベトベト9より前夜祭のオネーチャンを撮る為に一眼デジカメも併せて導入したのはここだけの話にして下さいww)
とかく屋台の準備で忙しく、写真を取れない自分はithacaさんの記録に頼りっぱなしです。今回もブログの記録用に過去のアホカリプス、ベトベトしま戦か?の画像を送って下さいました。ありがとうございました。
・・・・DVD-Rといっしょにチョコレートも入っていたけどね。どんなラブプラスだよ!!
女房からチョコを貰えなかったら「平成22年のバレンタインは男から貰ったチョコのみ」という自分の黒歴史に新たな一ページが刻まれかねませんので、昨日猛烈におねだりしてチョコを買って貰いました。ふう、やれやれ。
2010年02月10日
沖縄
2001年、初めて沖縄へ行きました。
元々南国リゾートなどに興味の無い私がなぜこのとき沖縄を選択したのか全然憶えていないのですが、たぶん憶えていないくらいどーでもいい理由だったのでしょう。それが今ではどっぷりとハマっているのですからどんなことがきっかけになるか人生は判らないものです。
このときの旅行はベタな観光旅行+ミリタリーショップ巡りという感じで当初はスタートしました。それまで沖縄料理なども食べたことはなかったので本場の沖縄料理を堪能し、この影響で翌年のアホカリプス2002には「ナム戦の米兵のR&R先は沖縄が多かったんじゃい」とこじつけに近い理由でタコライス等の沖縄料理が登場することになりました。
旅行前に話が遡るのですが、女房の知り合いにAさんという人がいます。誰でも知っているような有名出版社に勤務するエリートサラリーマンなのですが、仕事と家族サービス以外の時間は全て格闘技の練習に費やす
武道ブログでもないので詳細ははぶきますが、マスコミに紹介されない無名の先生でも強い人がゴロゴロいることを知り、沖縄という土地の奥深さを知ることができました。ご飯もご馳走になったしね。ここで終わればイイ話で終わるのですが、帰り際に「旅行中ウチで稽古していくか?」と先生に言われます。
・・・・・・・・・・・・・・・この流れで断れるわけないじゃないですか。
かくして昼間は観光→夜は稽古→疲れて爆睡と観光旅行という名の強化合宿が始まるのでした。
このときの旅行の話になると女房から「あのときは大変だった」とGOLDMAN監督の言葉責めのようにネチネチと嫌味を言われるのですが、呑み会の席などでこのエピソードを話してウケを取っているみたいなのでもう充分に元はとったのではないかと思われますwww
払い下げ店巡りをするうちに、いろいろなお店の人たちに親切にされた私はお礼を兼ねてなんとか還元できないかとmixiで「沖縄のミリタリー・軍払い下げ店」というコミュを後に立ち上げることになります。mixiのアカウントをお持ちの方がいらっしゃいましたら是非覗いて下さい。
タグ :沖縄
2010年02月08日
アホカリプス2000
アホカリプス2000にいきなり参戦です。
まずは一般参加して雰囲気を確かめてから、となるはずですがまだ20代。若さと無謀さを勘違いしていた時期ですのでいきなり出店です。店名はホーチミン市の行政区画でダウンタウンのあたりが第四地区なので、大衆食堂っぽい雰囲気を出すために付けました。ナム戦の頃はホーチミン市ではなくサイゴン市で、当然「第四地区」なんて無いから設定が合っていないのですが、その事に気がついたのは申し込みをした後なのでした。若さゆえの過ちは未だに尾を曳いているわけです。
土曜日の昼頃入り設営→準備→開店。
まあ、結果から言うと大失敗
学生時代にテキ屋のバイトをしたことがあるので大丈夫だろとタカをくくっていたんですが、最初から設営・準備をするのは初めて。手際が悪く当日来店したお客さんにはかなりご迷惑をおかけしたかと思います。
次に場所。ショップブースのかなり外れ、しかも増設照明の下だったので蛾が凄いのなんのって。料理を作る女房の横で蛾を追い払うのが私の主な仕事でした。なんだそれ。
料理の説明も大変。当初は看板に「フォー」と書いてあったんですが皆さん理解できないので途中から「ベトナムうどん」と記載。豚のあばら肉とココナツの実の煮物を用意していたら鍋の中を見たお客さんが「・・・・脂身、多すぎじゃない??」と敬遠されてしまいます。ココナツの実を料理に使うという発想がないので、どうしても脂身に見えちゃうんですね。試食して納得してもらいましたが・・・脂身っぽく見えるだけで避ける人が多かったので、このメニューはアホカリ2000以降出しておりません。
結局大赤字となってしまいました。実際には程度の差こそあれ今でも赤字なんですけどね。前回の記事にも書きましたように本業が違うので什器・ガスなどはレンタルなので持ち出しが多いんですよ。我々以降にもアホカリプスで飲食店をやろうとした方が2~3いましたが、皆1回出て止めています。軍装販売と違い準備に時間がかかるのでお客さん感覚でイベントを楽しめないし、それに儲からない。レオパルドが飲食店をやったときは「次は絶対やらないだろうな」と思っていたら案の定やりませんでした。さすがS社長、カネにならない事にはホントに動きませんねwww
それでも懲りずにアホカリプス2002への参加を決意。当時の記録簿には恨み言とかは見られないので、リベンジというよりは純粋に次も楽しみにしていたようです。
ただ、2000→2002の間にちょっとしたコトがありました。それがアホカリプス2002のメニュー、そして今のミリタリー趣味に多大な影響を与えることになります。(続く)
まずは一般参加して雰囲気を確かめてから、となるはずですがまだ20代。若さと無謀さを勘違いしていた時期ですのでいきなり出店です。店名はホーチミン市の行政区画でダウンタウンのあたりが第四地区なので、大衆食堂っぽい雰囲気を出すために付けました。ナム戦の頃はホーチミン市ではなくサイゴン市で、当然「第四地区」なんて無いから設定が合っていないのですが、その事に気がついたのは申し込みをした後なのでした。若さゆえの過ちは未だに尾を曳いているわけです。
土曜日の昼頃入り設営→準備→開店。
まあ、結果から言うと大失敗
学生時代にテキ屋のバイトをしたことがあるので大丈夫だろとタカをくくっていたんですが、最初から設営・準備をするのは初めて。手際が悪く当日来店したお客さんにはかなりご迷惑をおかけしたかと思います。
次に場所。ショップブースのかなり外れ、しかも増設照明の下だったので蛾が凄いのなんのって。料理を作る女房の横で蛾を追い払うのが私の主な仕事でした。なんだそれ。
料理の説明も大変。当初は看板に「フォー」と書いてあったんですが皆さん理解できないので途中から「ベトナムうどん」と記載。豚のあばら肉とココナツの実の煮物を用意していたら鍋の中を見たお客さんが「・・・・脂身、多すぎじゃない??」と敬遠されてしまいます。ココナツの実を料理に使うという発想がないので、どうしても脂身に見えちゃうんですね。試食して納得してもらいましたが・・・脂身っぽく見えるだけで避ける人が多かったので、このメニューはアホカリ2000以降出しておりません。
結局大赤字となってしまいました。実際には程度の差こそあれ今でも赤字なんですけどね。前回の記事にも書きましたように本業が違うので什器・ガスなどはレンタルなので持ち出しが多いんですよ。我々以降にもアホカリプスで飲食店をやろうとした方が2~3いましたが、皆1回出て止めています。軍装販売と違い準備に時間がかかるのでお客さん感覚でイベントを楽しめないし、それに儲からない。レオパルドが飲食店をやったときは「次は絶対やらないだろうな」と思っていたら案の定やりませんでした。さすがS社長、カネにならない事にはホントに動きませんねwww
それでも懲りずにアホカリプス2002への参加を決意。当時の記録簿には恨み言とかは見られないので、リベンジというよりは純粋に次も楽しみにしていたようです。
ただ、2000→2002の間にちょっとしたコトがありました。それがアホカリプス2002のメニュー、そして今のミリタリー趣味に多大な影響を与えることになります。(続く)
2010年02月04日
アホカリプスへ
イベントでたまーにお客さんから「お店はどこにあるんですか?」と聞かれます。
お店はありません。というか本業は食とは全然関係無くって、イベントだけのパートタイム屋台です。まあ、本場ベトナムでもパートタイムで屋台をやっている人が多いと聞きますのでこれはこれでベトナムっぽくていいのではないかとww
じゃあなぜ屋台を出すようになったかというと、V-MATやミリタリーマニアックスなどの物販イベントでヤリタリミンの金子賢一氏と知り合いになったのがキッカケです。(日頃渾名の「ハナちゃん」で呼んでいるのでこう改まって名前を書くと書きづらいですねw)
アホカリプスというなんか凄く楽しそうなイベントをやっていることを知り、なんとか参加することを考えていた矢先、ふっと会場内のお店(サイゴンマーケット)の話になります。当方としてはベトナム料理を出すところも当然幾つかあると思っていましたが、ハイホー食堂ではフツーの食事しか出さないし、クラブサイゴンは呑み屋でメシ関連はあまり出さないとの事。「ノモっちゃん(チャーリーさん)のところでベトナムの即席麺を売っているくらいですかね?」と聞いてびっくり。リエナクメントという概念を知りつつあった頃なので、雰囲気作りに貢献するところが一つくらいあってもいいのでは・・・という気になってきました。
そこで女房(このあたりで既に結婚していました。出会いについてはクソつまんねーので割愛)が「じゃあウチらで屋台やろうか」とポロっと話したら金子さんが「あー、いいっスね。みんな喜ぶんじゃないですか」と返したのでバカ正直にその気になった、というのが全ての発端です。あの時、どういう形でも否定的な意見を返されていたら今の自分たちは居ないわけで、金子さんには感謝してもしきれないのですが、自分はツンデレなのでお礼を言おうとする度に地獄突きを食らわせてしまいます。たぶん一生言わずに地獄突きを叩き込むのでしょうwww
お店はありません。というか本業は食とは全然関係無くって、イベントだけのパートタイム屋台です。まあ、本場ベトナムでもパートタイムで屋台をやっている人が多いと聞きますのでこれはこれでベトナムっぽくていいのではないかとww
じゃあなぜ屋台を出すようになったかというと、V-MATやミリタリーマニアックスなどの物販イベントでヤリタリミンの金子賢一氏と知り合いになったのがキッカケです。(日頃渾名の「ハナちゃん」で呼んでいるのでこう改まって名前を書くと書きづらいですねw)
アホカリプスというなんか凄く楽しそうなイベントをやっていることを知り、なんとか参加することを考えていた矢先、ふっと会場内のお店(サイゴンマーケット)の話になります。当方としてはベトナム料理を出すところも当然幾つかあると思っていましたが、ハイホー食堂ではフツーの食事しか出さないし、クラブサイゴンは呑み屋でメシ関連はあまり出さないとの事。「ノモっちゃん(チャーリーさん)のところでベトナムの即席麺を売っているくらいですかね?」と聞いてびっくり。リエナクメントという概念を知りつつあった頃なので、雰囲気作りに貢献するところが一つくらいあってもいいのでは・・・という気になってきました。
そこで女房(このあたりで既に結婚していました。出会いについてはクソつまんねーので割愛)が「じゃあウチらで屋台やろうか」とポロっと話したら金子さんが「あー、いいっスね。みんな喜ぶんじゃないですか」と返したのでバカ正直にその気になった、というのが全ての発端です。あの時、どういう形でも否定的な意見を返されていたら今の自分たちは居ないわけで、金子さんには感謝してもしきれないのですが、自分はツンデレなのでお礼を言おうとする度に地獄突きを食らわせてしまいます。たぶん一生言わずに地獄突きを叩き込むのでしょうwww