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Posted by ミリタリーブログ  at 

2018年08月13日

アホカリプス2018

いやまさか、「アホカリプス」のタグの記事をまた書くことになるとは
思いもよりませんでした・・・。

2005年以来ずーーーーっとご無沙汰だったアホカリに、13年ぶりに
行ってきました。とはいっても仕事&実店舗を開けなければならないので
1日目だけですが。7月7-8日に開催されました。

今回行くことになった目的は2つありました。

1)ネットで知り合った方々とお会いするため。 
  twitterでフォローさせていただいた方が増えて、関西や東海の方が 
  多く、なかなか首都圏では逢えないんですよね。

2)シーハウンドのウルゲイル大尉にサンプルを渡すため。
  このサンプルについてはそのうち記事にいたします。ただ、関西
  地方を襲った豪雨のために、残念ながら大尉は欠席でありました。

久々に来ましたが、軍用車両はスケールアップしてましたね!!










あ、ヨーイチさんのM113を撮り忘れておる・・・・。




シーハウンドの若手、フィッシャーさんとニックさん。

えー、いつにもまして画像が少ないのは、豪雨であまりで歩けなかったためですww







今回のサムズさんの目玉。カンボジアの刺繍屋の店頭からそのまんま持ってきた
サンプルだそうです。セットで150,000円!!

そんなこんなしているうちに開会式。これを見て当方は後ろ髪ひかれつつ
会場を後にしました。




さて、今久々に参加して感じたことは、「アホカリは別のイベントになった」というところ
でしょうか。開会式でもミリタリービーグル関係者の挨拶が最初、その後もしばらく続き、
ヒストリカルゲームに関することはあまり触れられず。「MVイベントにナム戦イベントが
サブ的にくっついている」という感じでした。これについては色々ご意見があるかと
思いますが、当方は歓迎です。10年前はナム戦イベント自体が少なかったのですが、
今は各地方で特色をもったイベントが開催されています。これからはアホカリはミリタリー
ビーグルに特化したイベントでいいと思います。本栖ハイランドという広大な場所を使用
するのですから、その方が自然ですよね。来年は2日間参加したいと思います。





本日のようつべ。


カントリー・ロード 耳をすませば 本名陽子
この前のプリキュアに初代の2人が登場したので、黒い方の中の人の
「カントリーロード」を。ただ、ご本人じゃなくてカバーだね。


カントリーロード【訳詞付き】- John Denver
本家本元。この2つを並べると歌詞の趣が全然ちがっていて面白い
ですね。本名陽子さんのバージョンはPPMの「500マイル」っぽい。


HIS - 500miles
「500マイル」は忌野清志郎の歌声が最強と信じております(`・ω・´)






  


Posted by トヨ  at 23:34Comments(0)アホカリプス

2010年08月25日

アホカリプス2010 不参加のお知らせ

9月4~5日に開催されるアホカリプス2010ですが、当方は仕事の都合で参加できなくなりました。申し訳ないです。

10月のベトベトしま戦か?11には参加できるよう鋭意調整中です。よろしくお願いします。
  


Posted by トヨ  at 12:56Comments(5)アホカリプス

2010年04月28日

アホカリプス2005

アホカリプス2005です。今回もニョーボの仕事(同日開催の物販イベント)が重なり、私だけの参加となりました。

金曜昼に到着。ハチが飛び廻る心地よい快晴でしたが・・・。






一時間後にはこの有様。天候激変は夏のモトス名物ですなあ。





↑の写真だと豪雨具合がイマイチ伝わらないのでもう1枚。





結局初日はこんなもんでした。出店はクラブサイゴンとウチとお隣のヤリタリミンくらいです。なんでこんなに少ないのかと最初は思いましたが一般の方が入れるのは土曜から。お客が来ないと商売になりませんので金曜から開いているこの3店は本物のキチガイ商売熱心ということでしょう。





翌日は概ね良い天気でした。





カマキリに挑む大人気ない男。





お店に来ていただいた方々。2枚目はチーム獺の面々です。(最近はゲーム参加していませんが、参加するときは自分も一応チーム獺の一員なんですよ)









ハリケーンピートさんのところのおねーさん。





華を添えるアオザイのおねーさん。(左の方はこの前のベトベト10に来られてませんでした?)





夕方の結団式。終わったらすぐに横で(ウチの店で)酒盛り開始。





夜になるとお客さんが大勢来ます。いつもご贔屓にされている関西のSEAHOUNDさん。バットの中身は生春巻と揚春巻。





この時は南ベ空挺付き米軍アドバイザー設定でリザード上下を着用していました。階級は偉そうなことに少尉。別に威張りたかったわけではなく、リザードがイスラエル経由の放出品だったので例のスタンプが大きく残っており、ソレを隠すための苦肉の策です・・・。





サケスキーさんと金子賢一さん。





初めてMMCの方々を見たときの印象は「リーダーが下品な冗談ばっかり言っていて、周りのメンバーがいつも笑っている楽しそうなチーム」というイメージだったんですよ。後にお付き合いが始まりましたが最初のイメージから全然外れていないことが確認できましたww

結局アホカリは諸事情によりこの2005で終了し、一度「MVGInVIETNAM」という形式で2007年に開催されましたがそれには仕事の都合で参加していません。「ウィンターフロント」で何度か冬のモトスに訪れてはいますが、今のところ夏のモトス参加はこれが最後になっております。  


Posted by トヨ  at 17:17Comments(2)アホカリプス

2010年03月15日

アホカリプス2004

あんまし思い出がないアホカリ2004です。なんせ記事を書く前に確認するまで2003年開催だと思っていました。

この時はたしか「プレアホカリ」という感じで、2005年にビッグゲームを予定していたのでその予行演習といったポジションで開催されていたと思います。前夜祭のバンドも2002年と同じMe-izmさんでしたが、クラブサイゴン内でアコースティックライブという地味な形式で演奏されていました。





ニョーボは不参加です。勤め先の業界では8月に大きな物販イベントをやるので、カチ合うと参加できないんですよね(ちなみにコミックマーケットではありません)。一人でやるのでメニューも限定です。雨も降っていないのにとにかく寒かった記憶がありますね。というかそれ以外の記憶が無い・・・。

ニョーボが不参加の場合(自分で料理を作る)と、定期的なイベント出店を重ねていく現状を考えて、この頃からなんとなく調理師免許を取ろうという気になります。そのへんの話はまた後日。  


Posted by トヨ  at 18:46Comments(2)アホカリプス

2010年02月28日

アホカリプス2002





アホカリプス2002に参加したときの事を書きます(2001年は開催されませんでした。だよね?)。

自分の中では一番面白かったアホカリと記憶しています。その理由はいくつかあるんですが、丁度失業中で準備に時間をとることができたのが一つ。





また、2002年以外のアホカリプスでは金曜午後~日曜だったのに対し、2002年は木曜午後~日曜と期間が長かったため、余裕をもって対処できたのも大きかったですね。余裕があったので朝営業もしていました(画像にあるおかゆとモーニングがそれです。モーニングはベーコンではなく前年の沖縄旅行の影響でスパムを使用)





ビニールシート丸出しでホームレス風味ですが、前日夜が猛雨だったので急遽貼ったというのが真相。そんな雨の中でも食べに来て下さった方もいます。ありがとうございました。





hamiさんという方がアホカリレポートの中で当店の事を書いて頂いたりして嬉しかったですね。あらためてありがとうございました。

この時はタコライスを出したり、タコスミートを流用してアメリカ製のえらくしょっぱいソーセージを使ったホットドッグを作ったりとか生春巻の具材とソーメンでソーミンチャンプルーを作ったりとやりたい放題で、時間帯ごとにメニューが変わるというシェフの気まぐれ屋台と化しておりましたww

前夜祭のバンドもレベルが高くて、前座のジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリクスのコピーバンドも凄かったのですがメインのme-ismさんが良かったですねえ・・・特にボーカルのyukoさんが脱ぎだすところで最高に盛り上がりましたww

この頃はお店をニョーボにまかせっきりで自分はテッパチ被ってゲームに参加していましたから、アホカリを全て堪能したことになります。メインゲームも天候に恵まれ、アホカリプス2002は自分のみならず、参加者にとっても伝説のイベントとなったのでした。

  


Posted by トヨ  at 16:22Comments(3)アホカリプス

2010年02月08日

アホカリプス2000

アホカリプス2000にいきなり参戦です。

まずは一般参加して雰囲気を確かめてから、となるはずですがまだ20代。若さと無謀さを勘違いしていた時期ですのでいきなり出店です。店名はホーチミン市の行政区画でダウンタウンのあたりが第四地区なので、大衆食堂っぽい雰囲気を出すために付けました。ナム戦の頃はホーチミン市ではなくサイゴン市で、当然「第四地区」なんて無いから設定が合っていないのですが、その事に気がついたのは申し込みをした後なのでした。若さゆえの過ちは未だに尾を曳いているわけです。

土曜日の昼頃入り設営→準備→開店。

まあ、結果から言うと大失敗face07

学生時代にテキ屋のバイトをしたことがあるので大丈夫だろとタカをくくっていたんですが、最初から設営・準備をするのは初めて。手際が悪く当日来店したお客さんにはかなりご迷惑をおかけしたかと思います。

次に場所。ショップブースのかなり外れ、しかも増設照明の下だったので蛾が凄いのなんのって。料理を作る女房の横で蛾を追い払うのが私の主な仕事でした。なんだそれ。

料理の説明も大変。当初は看板に「フォー」と書いてあったんですが皆さん理解できないので途中から「ベトナムうどん」と記載。豚のあばら肉とココナツの実の煮物を用意していたら鍋の中を見たお客さんが「・・・・脂身、多すぎじゃない??」と敬遠されてしまいます。ココナツの実を料理に使うという発想がないので、どうしても脂身に見えちゃうんですね。試食して納得してもらいましたが・・・脂身っぽく見えるだけで避ける人が多かったので、このメニューはアホカリ2000以降出しておりません。

結局大赤字となってしまいました。実際には程度の差こそあれ今でも赤字なんですけどね。前回の記事にも書きましたように本業が違うので什器・ガスなどはレンタルなので持ち出しが多いんですよ。我々以降にもアホカリプスで飲食店をやろうとした方が2~3いましたが、皆1回出て止めています。軍装販売と違い準備に時間がかかるのでお客さん感覚でイベントを楽しめないし、それに儲からない。レオパルドが飲食店をやったときは「次は絶対やらないだろうな」と思っていたら案の定やりませんでした。さすがS社長、カネにならない事にはホントに動きませんねwww

それでも懲りずにアホカリプス2002への参加を決意。当時の記録簿には恨み言とかは見られないので、リベンジというよりは純粋に次も楽しみにしていたようです。

ただ、2000→2002の間にちょっとしたコトがありました。それがアホカリプス2002のメニュー、そして今のミリタリー趣味に多大な影響を与えることになります。(続く)  


Posted by トヨ  at 23:43Comments(0)アホカリプス

2010年02月04日

アホカリプスへ

イベントでたまーにお客さんから「お店はどこにあるんですか?」と聞かれます。

お店はありません。というか本業は食とは全然関係無くって、イベントだけのパートタイム屋台です。まあ、本場ベトナムでもパートタイムで屋台をやっている人が多いと聞きますのでこれはこれでベトナムっぽくていいのではないかとww

じゃあなぜ屋台を出すようになったかというと、V-MATやミリタリーマニアックスなどの物販イベントでヤリタリミンの金子賢一氏と知り合いになったのがキッカケです。(日頃渾名の「ハナちゃん」で呼んでいるのでこう改まって名前を書くと書きづらいですねw)

アホカリプスというなんか凄く楽しそうなイベントをやっていることを知り、なんとか参加することを考えていた矢先、ふっと会場内のお店(サイゴンマーケット)の話になります。当方としてはベトナム料理を出すところも当然幾つかあると思っていましたが、ハイホー食堂ではフツーの食事しか出さないし、クラブサイゴンは呑み屋でメシ関連はあまり出さないとの事。「ノモっちゃん(チャーリーさん)のところでベトナムの即席麺を売っているくらいですかね?」と聞いてびっくり。リエナクメントという概念を知りつつあった頃なので、雰囲気作りに貢献するところが一つくらいあってもいいのでは・・・という気になってきました。

そこで女房(このあたりで既に結婚していました。出会いについてはクソつまんねーので割愛)が「じゃあウチらで屋台やろうか」とポロっと話したら金子さんが「あー、いいっスね。みんな喜ぶんじゃないですか」と返したのでバカ正直にその気になった、というのが全ての発端です。あの時、どういう形でも否定的な意見を返されていたら今の自分たちは居ないわけで、金子さんには感謝してもしきれないのですが、自分はツンデレなのでお礼を言おうとする度に地獄突きを食らわせてしまいます。たぶん一生言わずに地獄突きを叩き込むのでしょうwww

  


Posted by トヨ  at 21:26Comments(4)アホカリプス